私は母の死をきっかけに衣服をモチーフにした作品を作り始めました。衣服は身につけていた人の身体や記憶を内包し ており、日に日に薄れていく母の記憶を留めておきたいという娘である私の願いでした。

しかし私自身が子どもを授かり育てていくと、母の娘という「私」であった人格が消えていき、私は「母」になりました。4年半の間私は育児に専念 することとなり、その間はドイツ留学の時に始めた刺繍でしか制作を継続することができませんでした。刺繍の特性である音がしない・汚れない・いつでも中断再開ができることは、育児と相性が良かったためです。

母親になると現代においても仕事や行動など様々なことに制限を余儀なくされ、母親であるというだけで地位が下がります。私は刺繍をしながら「刺繍が歴史的に女性の技術であること」に納得しつつ、かつての母親たちはこうして細々とクリエイティビティの欲求を満たしていたのだろうか、束の 間育児から離れ刺繍をすることで「私」を取り戻していたのだろうか、現代よりも制限が強かったかつての母親たちは何を思い、どう生きていたのだろうかと、古い写真に写る女性たちを想像するうちに、私は記憶や歴史に残らなかった母親たち、また「かつての私」と思い出すような女性たち、そして育児を終えたであろう女性たちを素材にしたいと考えるようになりました。

鑑賞者が彼女たちへの時間的な距離を擬似的にでも近づけるようにAI技術を使い白黒写真をカラーにし、その写真を二重に重ねることで記憶や身体の曖昧さを表現しつつ、彼女たちの衣服を、女性の技術である刺繍で作ります。

2024.5.20

一般に人は大切な記憶であっても、時とともにそれを失っていってしまいます。

しかし、(身体を精神を入れる器であると考えるなら)身体という器から記憶が抜け落ちてしまっても「私」という存在は、記憶となった全ての過去から作られ、この世界に立ち上がっているのです。

私たちは失われた記憶を想起することで、「私」の物語を知り、「私」を認識することができます。

全体としての世界は、大きな歴史叙述の奥で、このような「私」の小さな物語の集積によって成り立っています。

私は、一人の小さな物語をきっかけにして、「私」の物語に結びついた瞬間、少しだけ世界を認識できたように感じるのです。

2016.9.19

私はこれまで抜け殻や骨をテーマに作品を制作してきました。

これらのテーマは、家族の火葬に立ち会い、灰となって出てきた骨を見たとき、

これまで存在していたはずの一人の<人>が、骨という殻から抜け落ちてしまったように感じた経験から始まっています。

<人>が抜け落ちた抜け殻は、住む人を失った廃墟のように、独特の美しさを持ちます。それは、過去の時間や記憶を内包しているからかもしれません。

現在は衣服を<人>の抜け殻と捉え、衣服をモチーフに作品を制作しています。

衣服を<人>の抜け殻と捉えるようになったのは、家族の死後、残された衣服が亡くなった家族の身体の身代わりのように感じられたこと、また私にとって家族との記憶の断片として重要な役割を担っていると感じたことがきっかけとなっています。

私は過去の時間や記憶を形象化するために、作品を制作しているのかもしれません。

2014.07.25

Arisa KAWABE / 河邉ありさ